6月の司祭のことば
ことばとしるし(聖体)
説教で教皇は、神の御業を記憶するための「記念」であり「行為」であるミサ、同時に、わたしたちの傷ついた「記憶」を癒し、奉仕へと向かわせる、エウカリスチア(聖体)の力について話された。
神の御業の記憶をただ伝え聞いただけで、実際に体験していないことを、どのように記憶できるのでしょうか?
神はこれがいかに難しいか、わたしたちの記憶がいかにもろいかをご存じです。
そこで、神はわたしたちのためにかつてないことをされました。
わたしたちに一つの「記録」を残されたのです。わたしたちに言葉だけを残されたのではありません。なぜなら聞いたことを忘れるのは簡単だからです。
聖書だけを残されたのではありません。読んだことをも容易に忘れてしまうからです。
しるしだけを残されたのではありません。見たことさえも忘れかねないからです。
主はわたしたちに「食べ物」を与えられたのです。この味を忘れることはできません。主はわたしたちにパンを遺されました。その中に、主はすべての愛の味と共に、真に生きておられます。
(教皇フランシスコ キリストの聖体の説教より)