今日は玉里教会の「忍耐強い椅子たち」をご紹介いたします。
実は、聖堂にある椅子は、信者さんたちの手によって2度も洗われているんです。
1回目は、この玉里教会へ椅子が届いたときに洗われました。当時の主任司祭(デフー神父さま)が、玉里教会献堂に合わせ椅子を探していましたら、前任地「姫路教会」の椅子が廃棄されるときき、玉里教会へ譲っていただいたそうです。到着した椅子を、信者さんたちが丁寧に洗い、色を塗られ、聖堂に設置されたそうです。
2回目は、玉里教会の歴史の中でも忘れられない「1993年8月6日集中豪雨(通称:8・6水害)」の時です。信者さんたちそして吉野教会の協力もいただき、水害のあった翌日から復旧作業が行われました。水は引きましたが聖堂内の椅子は泥まみれで折り重なっていました。必死の復旧作業と全国の信者さんからのたくさんのお祈りのおかげで現在も玉里教会があります。
2回も洗われた「忍耐強い椅子たち」は50年の節目を迎える私たちの祈りを、今も変わらず支えてくれています。感謝。
※写真は現在の玉里教会です♪
鹿児島カトリック教区報 第327号 平成5年(1993)9月号
「玉里教会濁流に漬かる」
8月6日夕方から夜にかけての3時間に147ミリという百年に一度という驚異的な豪雨に見舞われた鹿児島市では、がけ崩れや市街地を流れる三つの河川の氾濫で大きな被害が出た。
国道3号線に沿うように流れている甲突川は危険水位を超え氾濫、国道を泥水の渦巻く川と変えた。このため国道三号線に近い球zと教会(中野裕明神父)には、多量の甲突川の水が流れ込んだ。水は聖堂内約1メートルにまで達し、祭壇地下にある納骨堂は水底に沈んでしまった。また、司祭館も床上50センチまで水に漬かった。
信者たちは翌7日から吉野教会の協力を得て復旧作業に乗り出したが、泥と汚物に埋まった納骨堂や教会堂の清掃には大変な労力を要した。幸い納骨堂内の遺骨はバラバラにはならなかったが、聖堂内と司祭館一階部分の電気製品や応接セットなど備品関係は廃棄するしかなかった。
これまでの調べでは、泥水による被害総額は、教会堂が一千万円、司祭館は五百万円に達する見込みである。