【玉里教会の歴史】玉里教会献堂式-力強い歩み!ー 1973.1.13

1月13日は「玉里教会献堂記念日」です。

玉里教会は、1973年7月1日の小教区発足から半年後の1974年1月13日に献堂式が行われました。

当時の献堂式に参加された方が、大事に持っていらっしゃった「献堂記念のご絵」

カードに書かれていたメッセージ→ ”多くの人々の物心両面の協力を感謝し、この玉里カトリック教会がすべての人のため祈りと心の触れ合いに役立つよう願っています。どなたでもご自由においでください。 1974年1月13日 献堂式の日 玉里教会主任司祭・信徒一同”

49年目の2023年1月13日。夜のごミサの中で、これまでに感謝し、これからもこの聖堂が単なる建物ではなく、信徒のみなさんはもちろん、地域のみなさんの「祈りの家」として愛され大切にその役割を果たしていけるようにお祈りしました。

※「献堂記念のご絵」

鹿児島カトリック教区報 1974年2月号 1面

玉里教会献堂式 -力強い歩み!-

1月13日(日)午後2時から鹿児島市草牟田町の玉里教会、新聖堂献堂式が行われた。当日は快晴に恵まれ、教区内各地から、司祭、修道者、信徒ら200余名が集まり、糸永司教と11名の司祭による共同司式によって、献堂式のミサが捧げられた。

伊敷、草牟田地区に聖堂を、という声は早くからあったが、教会人口分散は功罪共にあるため、長く実現するに至らなかった。しかし最近鹿児島市でも、周辺部に人口が急増するいわゆるドーナツ化現象が顕著になり、近郊地に布教の拠点をという線が教区の基本方針として打出されるに至って、急遽に具体化することになった。昭和45年7月、玉里幼稚園の隣接地を買収、同年12月司祭館が竣工、成相神父を迎えて、早速活発な宣教活動が開始された。その後、この責任がザビエル教会助任司祭松森師によって引き継がれ同時に、ザビエル教会内部で、玉里教会を生み出すための計画が積極的に検討されることとなった。昭和48年7月1日、初代主任司祭デフー師を迎えて、玉里地区は小教区として発足、ようやく聖堂が落成するに至ったのである。

司祭館落成式において、糸永司教は「5年をめどに小教区として発足させたい」と抱負を述べられたが、4年を待たずしての実現であった。それは、鹿児島教区信徒全体の物心両面にわたる協力によって可能となったものであるが、とりわけ母教会、ザビエル教会の払った努力、また、玉里地区信徒の聖堂建設への熱意と一致が実ったものといえよう。生活必需品を廉価で共同購入して得た利益を建設資金として積立てる方式は、一種の信徒消費協同組合として次第に定着しつつある。また、毎月第3日曜日に行われている廃品回収は資金源としての意味に加えて信者家庭の訪問による一致の強化という、今一つの重要な意味が評価されつつある。

献堂式の日、出席者に手渡された玉里教会報「たまざと」は、この発足したばかりの教会の目的を「第一に神を礼拝することで、第二は善意あるすべての人々と共に真の人間としての生活を送るチャンスを持ち合うこと」と言っている。この目的に沿って、すでに、聖書を読む会が毎週水曜10時から教会で、また、木曜日、朝、伊敷地区で開かれている。更に教会周辺の人々との積極的な交流を深めるために、様々なことが企画されている。例えば、外国旅行を計画する人々のための西洋思想講座(火・19時)、英語教室(土・13時)、フランス語教室(土・10時)、書道教室(火・木・17時)、生け花教室(金・14時)などである。

玉里教会は草牟田から皆与志、冷水から永吉に亘広い地域の布教の拠点として生まれた。喜ばしいことに、これをきっかけとして仕事の都合などから、今まで教会を遠ざかっていた人々も、一人、また一人と、信徒は今、この新しい聖堂がいっぱいになり次の新しい小教区を自らが生み出す日を期待して、動き始めようとしている。

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