
玉里小教区報2025年11月号
11月の司祭のことば
通常聖年における死者の月
すでに救われて天国にいる人、煉獄で救いを待ち望む人、そしてこの世にいて救いを切望する私たちは、キリストに結ばれた者として、つながっていて、お互いに祈りあって救われていくものです。この祈りの連帯は聖徒の交わりを土台としています。「聖徒の交わり」とは、「聖なるものの分かち合い」と「聖なる人々の交わり」という意味を持ち、聖徒たちの交わりが、まさに教会、ひとつの家族であり、いつの日かともに神の国に集う人たちです。
そして今聖年を過ごす私たちが頂くことのできる全免償は、一日に一回しか受けられないという規定にもかかわらず、この祈り(と愛のわざ)の連帯の力によって、私たちより先に召された人々が満ち足りたあわれみにあずかれるよう、特別の方法で彼らのためにも意図されているのです。(死者にのみ適応される二回目の全免償)まさしく免償は、神のあわれみがいかに無限であるか(限界を知らない神のあわれみ)を分からせてくれます。(「希望は欺かない」22・23)
玉里教会主任司祭 泉浩二神父

